牛肉の赤ワインハーブ煮込みとトマト、セロリのポタージュ
圧力鍋をつかうと、ステーキ用の分厚い肉もとても柔らかく仕上げることができるようだ。
美味しくできたので紹介したいと思う。
材料
分厚いステーキ用の牛ロース
赤ワイン:600ml
玉ねぎ:半分
トマト:2個
セロリ:1束
シメジ:1袋(高くていいならマッシュルーム)
水:1カップ
コンソメ:1個
ハーブ類
タイム(生):数本、飾り付け用を含む
ローレル(ホール):1枚
オレガノ(ホール)
バジル(ホール)
塩コショウ:少々(クレイジーソルトもオススメする)
ハーブのうち、タイムだけ生、フレッシュのものを用意したい。香りがちがう。
ホールのものは、少なくともオレガノがあれば良い。
作り方
準備として、牛肉を赤ワインに漬けて冷蔵庫で一晩寝かせる。
玉ねぎをみじん切りにして、圧力鍋に入れ、中火で炒める。サラダ油よりオリーブオイルが良い。
メイラード反応のいい香りがしてきたら、みじん切りにしたセロリとしめじ(またはマッシュルーム)を入れ、その後、牛肉を入れる。赤ワインごと。
そして、牛肉の上にヘタをとったトマトを皮のままのせる。
水ワンカップとコンソメ、ハーブのうちタイムとローレルを入れたら強火にして圧力鍋をセットする。
圧力鍋から蒸気が出てきたら中火で40分加熱。タイムのいい香りがする。
その後、放置して圧力と熱が下がるのをまつ。
圧力鍋の蓋が無事に開いたら、牛肉は取り皿に移す。おそらく柔らかくなっているので慎重にだ。
オレガノとタイムを取り出す。捨ててもかまわない。
トマトとみじん切りの野菜をミキサーにかける。これをまた鍋に戻す。鍋に戻すとき、さらにミキサーに残ったものを水に溶かして鍋に戻せば、無駄がない。洗い物もいくらか楽になる。
ハーブのうちオレガノとバジルを入れ、中火で煮込む。
少しドロリとしたら塩コショウかクレイジーソルトで味付けし、好きな分だけポタージュにする。
残りはさらに焦がさないように中火~弱火で煮詰めて、味見しながらソースにする。ソースができたら、レンジで温めなおした牛肉にかける。
最後にタイムを飾り付ければ完成だ。
ほどよいトマトの酸味とハーブの香りが、柔らかい牛肉にマッチするはずだ。
ポタージュもさっぱりしている。
時間もかかるし洗い物も多いが、1度お試しいただきたい。
「君の膵臓をたべたい」は恋愛ものか?
「君の膵臓をたべたい」
先日「君の膵臓をたべたい」を久しぶりに読んだ。
実家に置いてあるので買う必要はないのだが、古本屋でつい見つけてしまい、うっかり買ってしまった。
読書メーターでも書いたが、エネルギッシュで活発な桜良と、全く正反対な【草舟の彼】を、皮肉にもエネルギーの生産役たる膵臓で繋いでいるのが、私は好きだ。
彼女は自身の膵臓の代わりを務めるかのようにエネルギーを生み出し、ふりまいて、一方、それを受け取るのが、エネルギーを失っているーー生きることに無気力な【彼】だ。
まるで人体と膵臓の関係のように、互いになくてはままならない関係となった二人が、悲劇を越えて精神的に和合する結末を、私は美しいと思う。
さて、本作の感想を色々読むと、よくある病弱少女の感動恋愛もの、と批判的に述べているものも少なくない。
確かにその手のものは「四月は君の嘘」「八月の終わりは、きっと世界の終わりに似ている。」「タイヨウのうた」「君は月夜に光り輝く」「いちご同盟」など、枚挙に暇がないし、本作の構成は、その範疇に収まるだろう(誤解がないよう書くが、今挙げた作品も好きだ)。
しかし、私は「君の膵臓をたべたい」は、もっと根源的で理想的な人間関係の理想像を描いた作品だと主張したい。
「よくある病弱少女の」の部分はともかく、「感動恋愛もの」というのは、仮に肯定的な感想だとしても、作品の構造だけを見て本質をとらえていないに過ぎない。
男女間の友情論
男女間に友情はあり得るか?
そんな議論をしたことが、もしくは、見聞きしたことがおそらくあるだろう。
そんな話をおよそ90年も前にとつとつと書いた人がいる。アベル・ボナールの友情論を読んだことはあるだろうか?
真の友情とは何かについて、また、男女間の友情があり得るかについて論じた随筆だ。
男女の友情(愛情ではない。ボナールは愛情を友情の下に置き、あくまで友情を礼賛している)について述べているところを抜粋する。
互いに相異なるということをどこまでも認め合い、互いにつっかかって行きそうなふりをする、かと思うと、突然、本能的な衝動によって互いに近づけられ、水晶の橋ともいうべきちょっとした笑いによっていっしょにさせられて、お互いの無遠慮から来たたわむれのさなかにおいて、どうしても常に和合していないではいられない幸多き宿命に気がつく。これがそうした愛人たちの至福である。
(友情論:176p:中公文庫)
桜良と【彼】の関係性
引用した箇所は、まさに、全く正反対であることを認め合い、軽口を交わして時に仲違いし、それでも憧れ、互いが互いになりたいと思った「君の膵臓を食べたい」の桜良と【彼】に当てはまる。
もし、ボナールが「君の膵臓をたべたい」を読んだなら、これこそ男女間における真の友情の物語だとうなずくだろう。
ボナールは、そうした男女の友情は、恋愛の内、恋愛の先においてのみ成立すると説いている。
また、恋愛は体と感情を源流とした不安定なもの、他方、友情は理性と尊敬を源流とした安定的なものとしている。
ボナールの言葉、そしてクライマックス直前の【彼】の吐露と咲良の共病文庫を重ねれば、二人の関係はとっくに恋愛を越え、何ものにも代えられない尊いものに至っていたことは明白だ。
ゆえに、安易なラブストーリーという解釈を本作に当てはめるのは全くの間違いだと、私は言いたい。
……と、述べたはいいが、本作の実写映画の特報を見て、粗製乱造のラブロマンスにしか見えなかったのを思い出す(よって本編は見ていない)。
そして、大衆が求めているのは結局そういうものなのかなと、さびしい気持ちになった。
閑話休題、そういうわけで「君の膵臓をたべたい」を読むなら、ぜひボナールの「友情論」もおすすめする。
より作品と、二人の主人公にのめり込めるはすだ。